グローバル教育センター留学派遣

バーギシェ・ブッパタール大学
文教育学部人文科学科地理学コース

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体験記

留学の地であったブッパタールは、2009年に80周年を迎えた、落ち着いた雰囲気の街であった。ノルトライン・ヴェストファーレン州にあるこの市の周辺にはルール工業地帯が広がるものの、ブッパタール自体はルールではなくバーギシェ地方に属する、との誇りを持ったヴッパーターラー(ブッパタールの人)たち。市を横切って市名の由来であるヴッパー川が東西に流れ、その上を世界初の懸垂式モノレールが走る。川を挟んで南北にある丘のうち、南側のものの上に大学は位置していた。大学のすぐ側に建つ寮から谷底にある駅までは、徒歩20分弱。ショッピングモールや商店の建ち並ぶ駅周辺の喧騒からは少し離れた、しかしちょっと歩けばすぐに生活用品等の手に入る、良い位置関係であった。
 
良くも悪くも近代都市であったブッパタールは、非常に暮らしやすかった半面、到着直後、第一印象での「ヨーロッパらしさ」や「ドイツらしさ」にはやや欠けていた。もちろんさまざまな表示はほぼすべてがドイツ語であり、窓の上に軒がない、オープンカフェがたくさんあるといった、日本と異なる点はいろいろあった。しかし、街をみてぱっと目に入るもの、何となく抱く印象からは、「ヨーロッパへ来た」「ドイツへ来た」といった実感はそれほど生まれず、むしろ「意外と日本と似ているものだな」との思いの方が強かったように思う。現代におけるグローバリズムの力はやはりすごいものなのだな、等と思ったりもしたのである。
 
しかし住民登録やビザの申請、学生登録といった手続きを終え、実際に暮らし始めると、単なる街の外観とは異なる部分にある差異を徐々に感ずるようになった。最も印象深かったのは、日本における学生とドイツ(あるいはともするとヨーロッパ)における学生との、社会における扱いの違い、「学生」という身分のもつ意味合いの違いである。これは確証のある話ではなく、あくまでこの留学を通して抱いた個人的な見解だが、社会全体が、学生に対して「お金はないが可能性はある存在」として、未来への可能性をみて支えているような印象を受けたのである。
 
たとえば、学生登録とともに手にするゼメスターチケットというものがある。これは、学期ごとにある金額を支払わなければならないものの、ある一定区域内の鉄道やバスに無料で乗れるパスである。2009年の夏学期より、区域がノルトライン・ヴェストファーレン州全域に拡大され、一学期約200ユーロとやや金額が上がったが、移動可能範囲とドイツの交通機関の運賃の高さを思えば破格であることに変わりはない。日本においても定期券等、交通機関に対する学割は存在するが、それよりはるかに安く、また通学圏外も広く含んでおり、学生の見聞を広めることを後押ししているように感じた。
 
また、コンサート等のチケットも、大いに学割が利いた。ブッパタールにはシュタットハレというホールがあり、シーズン中は毎月ブッパタール交響楽団が定期演奏会を行っているが、そのコンサートチケットも含め、主だった舞台のチケットはすべて四割引きであった。文化的な物事にはとかくお金がかかるものだが、こうした学割を設けているところにも、お金のない学生に豊かな経験の機会を与えようという姿勢を感じた。
 
最も身近なところでいえば、メンザ(学生食堂)の料金の安さにも同種のものが感じられる。メンザは平日に昼食を提供しており、通常メニューは三種類あるが、どれも1.8~2.4ユーロで主食、メインディッシュ、サラダ、デザートを食べられる。質が高いというわけではないが、学生に対し、お金をかけずともきちんと食事をすることのできる機会が保障されている。
 
こうしてさまざまな場面で権利や機会を与えられている学生の身分となり、ドイツで一年を過ごすと、身体の強張りが解けるかのように、思考の強張りがなくなっていったように感じた。これは、見聞を広め、視野を広げることに時間と心を注ぐことが、学生として自然な形で許されていることを実感できたためではないかと思う。この実感は、少なくとも私個人に関しては、日本では得難いものであった。
学生の扱いに対するこの印象が実態を伴ったものであったとして、もちろん良い面だけではなく、問題点も存在するであろう。一年弱という短い期間では、みえなかったものや見落としたものも数多くあるはずだ。しかしそれでも前述の印象を抱いたということは事実であり、そこには某かの真実が含まれているのではないかと感じる。
その印象を抱きながら今度は日本で過ごすことで、その真実が何であるのか、考えを深めていければと思う。