平成20年度 現代GP講義
キャリアプランニングT(映像:定村 武士先生)

2008年5月7日(水)から12週にわたり、定村武士先生(前 財団法人日本科学映像協会 常務理事)を講師に迎え、キャリアプランニング I(映像)の講義が行われました。
 定村先生は映画をはじめとする映像作品を数多くプロデュースされるなど、映像に深い経験と造詣をお持ちです。この講義では座学と実習を交え、実際に映像を作るということはどんな事かを学んでいきました。


『映像』とは何か

「映像とは何か」という、その本質を考えることから、この講座はスタートしました。次いで、「映像は果たして、すべて真実を伝えているのだろうか?」という疑問を投げかけ、製作者によって、「フレーム」が、四角く切り取られることによって起こる危うさに迫っていきます。例えばイラク戦争などで流された映像報道が、映像を流す方と、映像を受ける側によって微妙にニュアンスが違うこと、時によっては、その情報そのものも操作されかねないということを、いくつかの例を挙げながら話していきます。カメラに写されているからといって、描き出されている『事実』が、それで全てだとは言い切れないのだと言うのです。
 映像は、必ずフレームによって切り取られ、記録された映像は、製作者によって選ばれているのだということに、受け手は思い至らねばならないというのです。選ばれなかった部分、切り取られたフレームの外には、受け取る人達には理解できない(見ることの出来ない)事実もあったかも知れないからです。しかし、映像は、それ単体でも説得力を持ちます。それだけに、映像を利用した送り手の意図があるかも知れない事にも気付かなくてはならないのです。
 定村先生は、「映像には、必ず製作した人の意図が入り込むということを忘れず、常にフレームの外側へ想像力を働かせる意識も持って欲しい」と、警鐘を鳴らしているのです。イラク戦争などの例でも、報道映像だからといって、全てが事実を描いているわけではないのではないか?

メディアリテラシー

「映像というのは、ニュースであろうと、ドキュメンタリーであろうと、誰かが作ったものである以上、それは、あくまで主観的なものである」ということを、見る人は一歩下がって考えておいた方が良いと言うのです。
 「報道は真実を伝えている」という、これまで絶対的に思われていたことも、現実には「人が伝え、人が受け取っているのだ」ということを認めなければならないと思います。そこから、真のコミュニケーションはスタートするのではないでしょうか。このようなことを考え、そのための能力を培っていくことを「メディアリテラシー」といっているのではないでしょうか。これまでは、単に情報の受け手だった人達も、情報そのものを、マスコミにまかせっきりにするのではなしに、その情報を評価する力をつけ、場合によっては、自分たちでもいろいろな表現の仕方を考えて行こうではないか、という考えが 学問の世界や、マスコミ自身からも、そして視聴者そのものからも上がり始めているのです。
 一連の講義の底流には、映像というものは、ただ見ていればいいものではないことを、 学生と一緒になって考えていこうという思いがあるようです。

「映像作り」は、テーマを見つけることにあり

「映像を作る時に一番大事なことは、技術ではなくて『テーマ』です。自分が伝えたいこと、自分が何を作りたいのかということが、一番肝心なことだと思います。そのことがしっかりしていれば、楽しい映像作りが出来ますし、これから映像を見る場合にも、自分なりにその中にテーマを見出すことも出来るからです。
 その最たるものとして、1999年より毎年日本で開かれているショートショートフェスティバルへの出品作品を上映して戴きました。このイベントは、名前の通り 次代のクリエイターを目指す監督の卵たちが、映画会社へ自分を売り込む為に作ったプロモーション用作品を始めとする短編作品を集めた映画祭です。短い時間の中で端的に主張を伝える為、非常にインパクトのある映像ばかりで、学生たちも大いに触発されたようでした。


 

作品を作る

講義の後半では、映像製作システムの体験と、自分の頭脳と、手、足を動かしての映像製作のスタッフワークを体験することになります。国内外でもてはやされている「ビデオジャーナリスト」とは、どのような職業なのか、といったことも、興味深く講習を受けていました。受講生たちは、テレビ局や、映画製作時のスタッフ構成を参考に、「シナリオ」「演出」「カメラ」「演技」「編集」に分かれてスタッフを組みます。作品のテーマは、『お茶の水女子大学は、今』、いよいよ、初めての映像製作です。

「シナリオ」作成、「画コンテ」作業、
そして「撮影」へと

キャンパスでの撮影現場は、演出担当者を中心に、カメラ班、演技班が、初仕事にもかかわらず、思ったよりも巧みに現場作業をこなしていきました。
 編集班も、撮影現場で撮影の順番などをきちんと記録して、編集の資料づくりに専念していました。定村先生は、「このようなスタッフワークこそが、撮影実習では一番大切なことであり、恐らく現実社会に出てからも、この経験が大いに役立つに違いないよ。」と強調していました。
 最後の「編集」も、学生たちの手に委ねられました。
 今回の編集は、ビデオ編集ソフト、VideoStudio 12 (コーレル株式会社)を使用しての、ノンリニア編集作業でした。編集作業には、記録映像作家の古沢衆一さんと、コーレル株式会社の、高田佳和、永松 篤両氏のサポートも戴きました。
 こうして、"マスメディアを座学と実習で体験"する講座は、多彩な体験を残しながら無事終了したのです。

様々な行程を経て完成した作品が、この三作品です。

  • A班『 知られざるお茶の水女子大学 』:ドラマ仕立てのミステリアスな作り
  • B班『 我が輩はお茶猫である 』:お茶大在住の猫を狂言回しにしてのお茶大巡り
  • C班『 お茶大生 NEO 』:スタッフ総出演で送る、お茶大生の今

講義最終日、完成した作品をプロジェクターで大画面に投影しての「反省会」となりました。作品の出来に喜ぶ学生も、もっと完成度を上げたかったと云う学生も、何週にもわたり協力して作品を作り上げた、というそれぞれの達成感は良い体験になった様です。
 定村先生は、『映像制作で最も大切なことは、スタッフワークである』と再度強調されていました。映像制作はそれぞれに分かれた専門分野の集大成であり、総合芸術と云われます。大勢の仲間と、一つの仕事を成し遂げると云う体験、そして、そのプロジェクトは多くの仲間たちの協力と、その周りの人達のさまざまな好意の上になりたっているという実感は、これからの職業意識形成の中でも、きっと生きてくるに違いありません。


日常生活の中で、無意識のうちに、私たちの周辺を流れる映像が、どのような意図を持っているのか、それらを読み解く術を学び、また、実際に映像作品を作り上げるという実体験を通して、映像を作る ― 伝える ― と云う事の、難しさや喜びを垣間見ることが出来た講義になりました。


                <取材/文責:現代GP 三枝博明 / 学生記者 薄井加奈>


受講者の声

  • 日頃何気なく見ているテレビ番組1つを作るのに、どれ程の人が携わっているのかを実体験で学べたのが良かったです。
  • もっと授業を聞きたかったです。いろんな人との共同作業による映像って、本当にすばらしい! と思いました。
  • 毎回映像作品に触れたり、実際に映像を作ったりして、めったにできない経験ができたと思う。グループワークでは、作業分担とはどういうものか、や異なるメンバーの意見を時間内にどうまとめるか、を学ぶことができた。
  • 12回の講義ありがとうございました。今日自分たちの映像をみてもっとこうしたかった、と思うところもたくさんあったけど、それ以上に自分の力であそこまでの映像を作れたという達成感がありました。映像には作り手の主観が大いに含まれているということも、自分が作ってみて初めてわかりました。今後の就職だけでなくさらに先までもこの授業の経験は生かされると思います。
  • 映像を作るという機会が与えられたことは、貴重でよいものだった。
    しかし、自分が想像していたようなものは出来なかったので、この悔しさは、将来の自分に良い意味で影響するかもしれません。