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学内公開講座「難民を助ける会とカンボジア」報告

2015年7月16日更新

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講師の伊藤悠子氏

2015年7月16日(木曜日)、特定非営利活動法人 難民を助ける会(AAR Japan)東京事務局の伊藤悠子さんをゲスト講師としてお招きし、学内公開講座を開催しました。カンボジア難民が生まれた歴史的背景、AAR Japanの難民キャンプでの活動、カンボジア国内での車椅子事業についてお話をしていただきました。

AAR Japanは、「インドシナ難民を助ける会」として1979年に設立されました。インドシナ難民とは、1975年以降にインドシナ3国(ラオス、ベトナム、カンボジア)で発足した新しい政治体制を拒否し、国外へ脱出した人々を指します。AAR Japanは、これまで、アジア、アフリカの60をこえる国と地域の支援を続けてきました。
カンボジア難民が生まれた歴史的背景には、1970年代のカンボジア内戦、ポル・ポトによる恐怖政治が深く関わっています。カンボジア内戦で、資本主義を支持するロン・ノルに勝利した共産主義のクメールルージュは、ポル・ポトによる恐怖政治を行いました。知識人が虐殺され、国内は飢餓で苦しむ人々で溢れました。1979年にベトナム軍がクメールルージュに勝利した前後から、生命を脅かされたカンボジアの人々はタイの国境付近へ逃げ込みました。こうしてタイとの国境付近に、難民キャンプが作られたのです。
ちょうどその頃、AAR Japanが発足し、難民キャンプでの支援活動が始まりました。炊事セット、食器、毛布、メガネ(恐怖政治時代は、かけていると知識人とみなされました)、衣料品、浄水器、大工道具などの物資支援が行われました。難民キャンプで生活する人々の動画をみせていただきましたが、手足のない人々が多くいました。彼らは、1970年代の内戦や戦争で使用された地雷や不発弾により手足を奪われたのです。

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講義の様子

AAR Japanは、四肢を失った人々のために、車椅子支援を始めました。難民キャンプへ車椅子を提供したり、日本の専門家を難民キャンプへ送り修理技術などを教えたりしました。また、1990年代には、障がい者のための職業訓練センターと車椅子工房を設立しました。現在、車椅子工房にはカンボジア人のスタッフが9名おり、そのうちの5名は職業訓練校の卒業生です。一人ひとりの障害の状態やニーズに合わせて車椅子が作られています。スタッフは、障がいをもつ方の家を訪問し、車椅子の修理などのフォローアップを行っています。

1991年の四肢切断者は約35,000人と推定されています。カンボジア国内には今も地雷や不発弾が多く残っています。戦争が終わっても、地雷や不発弾の被害を受ける人が増えるでしょう。そのため、平和が訪れても、障がい者支援を続けていく必要があります。
「戦争が終わっても地雷で苦しむ人がいる」という言葉にはショックを受けました。9月にスタディツアーでカンボジアを訪れた際には、車椅子工房の見学や車椅子を利用されている方のお話を聞く中で、私にも支援ができることを探していきたいです。
伊藤さん、貴重なお話をありがとうございました。

(生活科学部人間環境科学科4年 吉村 玖瑠美)

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