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「お茶大生島暮らし体験記」実施報告

2022年6月27日更新

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ポスター

2022年6月13日、グローバル協力センター「共に生きる」スタディグループの活動の一環として海士ブータンプロジェクトが主催する「お茶大生島暮らし体験記」が開催されました。対面とオンライン合わせて35人ほどの皆さんにご参加いただき、昨年度本学を休学して島根県の隠岐諸島(海士町)で生活していた、文教育学部人間社会科学科教育科学コース4年の水越日向子より、島暮らしの経験をお話しさせていただきました。

島根県から北におよそ60km、日本海に浮かぶ隠岐諸島には、大小180以上もの島があります。人が住んでいるのは、隠岐の島町、西ノ島町、海士町、知夫村のあわせて4島で、私はその内の一つである海士町で暮らしていました。海士町がある中ノ島は、人口2200人程度の小さな島です。島根本土からはフェリーで3時間半かかり、映画館はもちろん、スーパーやコンビニは一軒もありません。「不便そう」と思われる方も多いかもしれませんね。

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海士町はこの辺!

海士町には「ないものはない」というキャッチコピーがあります。これには「生きるために必要なものはすべてここにある」という意味が込められているそうです。海士町は「ないものはない、でも知恵と工夫で暮らしは楽しめる」という活気に満ちた島でした。

私は、教育をきっかけに隠岐島前地域の活性化を目指す「隠岐島前教育魅力化プロジェクト」のインターンとして、海士町の「隠岐國学習センター」という公立塾で働いていました。塾といっても学習センターは少し変わっていて、勉強だけではなく「生きる」とはどういうことかをみんなで悩んで探しているような、高校生も大人も関係なく人間同士で向き合える場所でした。私はそこでいろんな人と出会い、とにかく濃い時間を過ごしました。

公私の区別のない島暮らしでは、裏も表もなく、そのままの自分で生きるしかありません。だから海士町では、あらゆる場面で、ごまかしの効かない人間くさい関わり合いが生まれていたのだと思います。私自身、たくさんの方々と関わり、支えられ、何か温かい大きなものに包まれたような1年でした。私にとって、ありのままの自分で生きて、その自分を面白がってもらえたことは、何にもかえがたい経験で、この1年がこれからの自分を生かしていくのだろうという実感があります。

私が休学して海士町に行った理由は、ただこれから生きていくことが怖かったからです。綺麗な理由はいくらでも書けますが、根底には、就活への恐怖と、上澄みを掬ったような自分のあり方への違和感がありました。海士町には、積極的に辿り着いたというよりは「流れ着いた」という表現の方がしっくりきます。

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会場の様子

流れ着いたその場所で、私と同じようにもがきながら生きている人間と出会い、頭でこねくり回していたら見えなくなってしまうものがあると気づきました。何かを大切にすることに理由を見つける必要はないのだと思います。星は綺麗だし、自然はすごいし、好きなものは好きです。それに綺麗な理由をつけようとしたら、本当に大切なものから離れていってしまう気がします。私は、大切なものを大切にして、その場その場で出てくる自分を面白がりながら、生まれたからには楽しく生きていきたいです。

島から帰り、復学してから2ヶ月ほどが経ちますが、はっきり言って楽しいことよりも苦しいことの方が多いです。しかし、当たり前のように悩み、葛藤する日々のなかで、海士町で出会った皆さんや、大切な友人、そして新しい出会いに支えられて、なんとか自分を面白がれていると思います。とてもありがたく、海士町での経験を通じて現状を面白がる力が身についたように感じています。

今回、このような私の経験をお話しする機会をいただいたことで、自分自身を見つめ直すきっかけになりました。理路整然と話すのが得意ではなく、拙いお話しにはなってしまいましたが、ぽつりぽつりと出てくる言葉のなかに、私自身気づきが多くありました。

ご参加いただいた皆さん、質問をお寄せいただいた皆さん、ありがとうございました。こんなにも多くの皆さんに関心を寄せていただけたことが本当に嬉しかったです。今後も何かしらの形でつながり続けられたら嬉しく思います。

(文教育学部人間社会科学科4年 水越 日向子)

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