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2024年度カンボジアスタディツアー実施報告

2024年10月21日更新

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シェムリアップ郊外・工房でのインタビュー
(水色の帽子は現地ガイドのブティさん)

2024年9月20日から27日までの間、カンボジアスタディツアーに参加しました。首都のプノンペン、世界遺産アンコールワットが佇む観光地のシェムリアップとその周辺、首都プノンペンから車で2時間程度、のどかな雰囲気のタケオの三地域をまわりました。各々の研究テーマに関連した施設を訪問し、現地の方々へインタビューを実施しました。履修者4名のうち3名が初めての海外だったこともあり、目に映るすべてのものが新鮮でした 。

私はカンボジアの義務教育に焦点を当てて調査を行いました。カンボジアの中でも様々な階級、生活状況の方にインタビューをしました。特に印象的だったのは、最終日前日に訪問したJICAカンボジア事務所の現地職員のお二人(男女)のお話でした。現地職員の方はどちらも40代で大卒です。それまでにインタビューをした30代以上の方の多くは経済的理由から学校の中退を余儀なくされていました。そのため、「その当時、大卒はレアケースではなかったですか」と質問をしました。お二人は「自分の周りでは特に大卒はレアケースではなかったです。」とおっしゃっていました。他にも、授業が簡単で飛び級して勉強している少女がいる一方で、経済的理由から小学校を中退しているため、子どもの宿題が難しくて教えることができない、とおっしゃる方もいました。同じカンボジアという国の中でも、生活状況や置かれている環境は確かに違っていて、それぞれがそれぞれの立場から物事を見つめているのだと強く実感しました。
また、子どもを育てている方々のお話も興味深かったです。「自分が学校に通えなかった分、子どもには学校に通って良い教育を受けてほしい」とおっしゃる方が何人もいました。この言葉を聞くたび、希望のバトンをつないでいる、そんな感覚を覚えました。バトンを託され、次の世代にバトンを託す、そういった流れの中をカンボジアの人々は生きているのではないかと感じました。
他にも、学校に対する不満を尋ねた際、ほとんどの方が、登下校の際の事故が心配だ、と答えたことが印象的でした。実際、カンボジアには信号が少なく、交通量も多いため、私も道路を渡るのに苦労しました。「学校から無事に帰宅した子どもの顔を見て、とても安心する」とおっしゃる方がいました。親の子に対する愛情、祈りのようなものを感じ、胸が熱くなったのを覚えています。

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タケオ・コオロギ養殖農家でのインタビュー

カンボジアではクメール語が公用語です。私は「オークン(ありがとう)」と「チョムリアップ・スオ (こんにちは)」しか話せなかったので、うまく自分の言いたいことが伝わらず、もどかしく感じることもありました。ただ、言語が理解できなくても、多くの交流をすることができました。初日に訪問した公立小学校では女の子たちが近づいてきて、私たちに両手でも持ちきれないほどのプルメリアの花をくれました。私がインタビューのお礼に渡したお菓子を友達と分け合って食べている少年の後ろ姿もよく覚えています。また、シェムリアップの工房視察では、記念撮影で隣の方と二人でハートの形を作って写真を撮りました。カンボジアの方々の明るい笑顔で何度も幸せな気持ちになりました。言葉は伝わらなくとも微笑みかけるだけで伝わるものがあるのではないかと感じていました。

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プノンペン・JICAカンボジア事務所訪問

その一方で、カンボジアの暗い影のような歴史にも触れました。2日目にはトゥールスレン虐殺博物館を訪問しました。こんなに残虐なことを同じ人間ができるのかと、目の前の光景を信じることができませんでした。博物館内ではトゥールスレンで亡くなった方たちの写真が何百枚も展示されていました。その方たちの眼差しを忘れることができません。博物館を一緒に見てまわったガイドのブティさんはポルポト政権下での生活を経験していて、「今生きているのが夢のように思う」とおっしゃいました。「私の生活している環境は恵まれているな」で終わらせてはいけないと強く感じました。
ブティさんはポルポト政権終了後に徴兵を避けて教育を受けるために、実際の年齢から4歳年齢を下げたから、自分の年齢が二つあるとおっしゃっていました。ポルポト政権が終わった後であっても多くの人が苦しみの中を何とか生活していたのだということに気づかされました。カンボジアの教育が諸外国に比べて遅れたのは、ポルポト政権下で教師などの知識人が失われたという背景があります。ポルポト政権というカンボジアの悲しき歴史は完全に過ぎ去ったものではなく、今もなおカンボジアに爪痕を残しているのだと感じました。

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プノンペン・トゥールスレン虐殺博物館視察

最終日前夜の夕食後の帰り道、工場から帰る女性を荷台にぎゅうぎゅうに乗せたトラックが走っていました。その様子を見て、トラックに乗る女性一人一人に生活があって、守るべきものがあるのだろう、とふと感じました。東京で毎日のように乗る満員電車の中では一度も感じたことのない感情でした。慣れない環境だからこそ、普段気づけない学びがありました。私はこれから日本で「カンボジア」という文字を見つけるたびに、ブティさんやドライバーのロンさん、そのほかにもカンボジアで出会った多くの方々の顔を思い出すのだと思います。そのことをとても嬉しく思うとともに、スタディツアーに参加してよかったと心から感じます。

結びとなりますが、快くインタビューを引き受けてくださった方々、ガイド・通訳をしてくださったブティさん、長旅を支えてくださったドライバーのロンさん、またスタディツアーを実施してくださり、私たちの希望を最大限実現させようとしてくださった小田先生、平山先生に深く感謝いたします。ありがとうございました。

(生活科学部人間生活学科2年 三輪楓花 )

  • photo5プノンペン・公立小学校でのインタビュー
  • photo6夜のプノンペンの街

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