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2025年10月24日更新
2025年8月21日から29日にかけて、「国際共生社会論実習」の授業としてカンボジアスタディツアーに参加しました。5名の学生が履修し、主権者教育・結婚観・国際支援の受け止められ方・高等教育アクセスの地方格差・ジェンダー平等などそれぞれの研究テーマを持ち、見学やインタビュー調査を実施しました。
プノンペン国際空港に降り立ち、プノンペンの街を車で移動した私たちは、プノンペンが想像以上に都会であることに驚きました。昔からある煌びやかな寺院のすぐ隣には外国資本の大きな建物が立ち並び、道路にはたくさんの車とトゥクトゥクが走り、その間をバイクがすり抜けていく。伝統と都会らしさの混ざった景色はとても新鮮で、人のにぎわいからもまさに今発展している国だということを実感しました。
私たちはまず、日本人が運営する幼稚園を訪問しました。カンボジアでは小学校の校舎を借りて幼稚園を運営する形態が多く、日本の幼稚園のように園庭があったり遊びを重視したりしている幼稚園は珍しいそうです。子育てに関する正しい知識が十分でないため4歳程度まで粉ミルクを与えてしまうことがカンボジアではよくあるそうで、幼稚園の運営を通して保護者にも正しい知識を伝えたいというお話から、幼稚園のスタッフの皆さんがいかにカンボジアの子どもたちを想っているかが伝わってきました。続いて訪れた公立小学校、プレア・ノロドム小学校では元気な子どもたちが私たちを取り囲んで話しかけてくれ、好奇心旺盛な様子で外国人である私たちに対してもあたたかく接してくれました。カンボジアの学校の授業は一斉教授で、教師の説明を子どもたちがひたすらメモをとるという形態ですが、子どもたちは学校が、授業が楽しいと溢れんばかりの笑顔で話してくれました。
私たちはトゥール・スレン虐殺博物館やアンコール・ワットも訪問しました。トゥール・スレン虐殺博物館ではガイドのブティさんがポル・ポト時代に実際に経験した話も聞かせていただき、苦労や困難という言葉では表せないほど壮絶な人生を生き抜き、過去に恨んだ人々も認め、赦しながら家族やつながりのある人を大切にして今を生きているカンボジア人の生の重みがひしひしと伝わってきました。アンコール・ワットは、ガイドさんの勧めで早朝に訪れました。朝日に照らされたアンコール・ワットは本当に美しく、空気も澄んでいて神聖な気持ちになりました。中に入ってみるとカンボジア人の精神の根本にある礼儀や親への敬いを感じました。ヒンドゥー教から仏教への移り変わりや、ポル・ポト時代に受けた宗教弾圧の痕跡も目の当たりにしました。そして、カンボジアの伝統舞踊であるアプサラ・ダンスも鑑賞し、派手ではないが優雅で緻密な踊りに魅了されました。伝統を絶やさないために伝統舞踊を再建し創ったアプサラ・ダンスを、観光客向けにディナーショーとして上演するという文化の紡ぎ方も興味深かったです。
次に訪れたのは、バッタンバンという、カンボジア第二の地方都市です。バッタンバンでは認定NPO法人テラ・ルネッサンスが活動している農業訓練校に伺い、同世代の農業を学んでいる若者たちをインタビューし、一緒に料理もつくって食事をしました。TikTokを楽しんでいたりくだらないジョークで笑っていたり、私の料理が下手だとからかってきたり、カンボジアの若者たちも私たちと同じような部分もたくさんあると感じました。一方で、高校をドロップアウトしてしまった、お金がなく大学に行けなかったという状況の中で農業を選択し、モチベーションの持ち方に苦労しつつも自分で仕事と生活を切り拓くために毎日学んでいる彼ら彼女らを見て、日本で私たちが将来の選択肢を幅広く持てることが決して当たり前ではないことで、ありがたいことだと改めて実感しました。農業訓練校の職員の方は、様々な仕事を経て今の仕事にたどり着いた方が多く、自分の仕事に誇りとやりがいを感じながら仕事を楽しみとして生活している姿が素敵でした。その中でも特に私が感銘を受けた方がいます。彼女は仕事の中で自分が研修生に教えてはいるが研修生から学ぶことも多くあり、それを家族に話している時間が幸せであること、仕事はもちろん楽しいことばかりではなく大変なこともあるが、それを乗り越えていくことも含めて仕事は楽しいことを話してくれました。また、彼女は教育に関して、カンボジアの学校ではただ先生の話を聞く一方通行の授業が行われていることに危機感を抱き、批判的思考を身に付けるような取り組みを学校で行うべきだと考えており、前向きでパワフルなマインド、そして彼女自身が批判的思考を持つことを絶やさない姿勢に、心惹かれました。
さらに、子どもと地域のためを考え先進的な取り組みをしている幼稚園でお話を聞いたり、家庭訪問をさせていただいてお母さんに話を聞いたり、シャンティ国際ボランティア会で現地スタッフとして働く同年齢の方に街を案内してもらったり、JICAカンボジア事務所で質問に答えていただいたり、ガイドのブティさんやドライバーのレッドさんと食事をしたり、カンボジアについてたくさん話を聞き、肌で感じ、学ぶことができました。
私はカンボジアの主権者教育をテーマに調査しました。政党は一党支配で政治に関する表現の自由が大きく制限されており、教育の場でも政治の仕組みや権利についてあまり扱っておらず、民主主義が十分に機能しているとは言えません。しかし、カンボジア人は自分の所属集団や地域に対して当事者意識が高く、自分は何かすることで集団がよりよくなるという認識をもっており、主体的に行動していました。インタビューを進めていく中でそれはポル・ポト政権の時代を必死に生き抜き、状況に迫られて獲得した主体性だということも見えてきましたが、生活や社会をよりよくしようとする姿勢は今も続いています。若者に活気があり、未来を開拓していこうという力強さがあり、教育や仕事を通して社会がそれをサポートしようとしていることも分かりました。物資や機会に恵まれていなくとも、自分でチャンスを生み出し、掴もうとするカンボジアの人々の生き方、周囲の人をとても大切にする姿勢は私も見習いたいです。
最後に、カンボジアを訪れて衝撃を受けたことが2つあります。一つは、国内の貧富の差です。立派な家のすぐ隣には手作りの家があり、子どもを習い事に通わせている家庭のすぐそばには子どもが仕事や家事を手伝っている家庭がありました。都会には大きなビルが立ち並び日本とあまり変わらない光景が広がっていますが、田舎では景色が変わり、店は壁のない路面店に代わり、物売りをしている子どもがいます。レストランのテラス席で食事していた際、野菜を買ってほしいと物売りの子どもに声をかけられ、私は無力感でいっぱいになりました。自分が今買うことで少しの稼ぎにはなるかもしれないが、そのせいでこの子が大人に搾取されるかもしれないし、この子の生活まるごとを助けるほどの力はもちろんないからです。欧米人とみられる男性が、お金は渡せないと手をはらいながら、野菜は買わない代わりに子どもに本を渡していた姿も印象的でした。家計が厳しかろうと児童労働は容認しない、働かずに学んでほしいというメッセージに思えました。二つ目は、自由の制限についてです。レストランや町中のいたるところに首相・前首相・首相の母親の写真が飾られており、政治についての質問はあまり答えてもらえなかったり、小声で若者が政治については話せないよと教えてくれたり、政治への反対意見は言えないムードを肌で感じました。また、数カ月前のタイとの国境付近での紛争を経て兵士を崇めるような看板が町中にあったこと、来年から徴兵制を本格的に開始するという計画について「だれも反対していない」「もしかしたら嫌な人もいるかもしれない」という言葉を聞いたことは衝撃であり、このまま紛争が発展してしまうのではないかという恐ろしさを感じました。
カンボジアは、食べ物がおいしく、町並みは活気があり、人々があたたかい国でした。尊敬する生き方や考え方にもたくさん出会いました。実際に訪れ、話を聴くことで事前に抱いていたイメージは大きく変わることを知りました。カンボジアを訪れた今、カンボジアという国への漠然とした関心は、このスタディツアーで出会った一人ひとりの願いや目標が叶ってほしいという想いに変わりました。自分の目で見て耳で聴き、肌で感じること、様々な立場の人に話を聞き多角的に考えることをこれからも大切にしていきたいです。スタディツアーにご協力くださった皆様、誠にありがとうございました。
(文教育学部4年 松尾ひなの)