平成20年度 現代GP講義
キャリアプランニングT(教育:高橋 哲夫先生)

2008年6月4日(水)の授業では東京都北区の教育委員会教育長である高橋哲夫先生をお招きし、「これからの教育が目指すもの」 についてお話ししていただきました。高橋先生は高校の生物の教員でした。現在は北区の教育委員会教育長として、北区の幼稚園、小中学校全般に関わる仕事をしています。講義のご担当は1回だけでしたが、ご自身の経験談や これまでに築いてきた教育のコンセプトについて、ぎゅっと濃縮された興味深いお話に、これから教職を目指す若い学生たちは惹き付けられました。


これからの教育が目指すもの

教育長として、高橋先生はどのような教育をコンセプトとしているのでしょうか。

「教育と訳されている “education” は、もともと “educe” が語源。可能性を引き出す、という意味です。
Educationを 「教育」と訳すべきではない、と言ったのは福沢諭吉です。『 文明論之概略 』 で 、『 “発育”とすべき 』 と書いていますね。何年か外国に行っているうちに 「 教育 」 と訳されてしまい、福沢諭吉は帰国してそれを知って、たいそう残念がったそうです。 “発育” と訳していたら日本の教育は変わっていたかもしれませんね。
“発育” は学び手が主体であるのに対して、“教育” は授ける側に力点が置かれています。私も “発育” と訳すことに軍配をあげたい。“発育” はこれからの教育のコンセプトです」(高橋先生)

親が子を育む心得

「 教育 」 とは、本来 「 教え育む 」 こと。『 育む 』 ことに力点が置かれなければなりません。園田 稔氏(京都大学名誉教授、秩父神社宮司)は、親が子を育む心得を以下の様に述べています。


赤子には肌を離すな
幼児には手を離すな
子どもには目を離すな
若者には心を離すな

この言葉は、子どもの発達段階に応じた親の接し方を、ズバリ適切に言い表しています。その距離感のなかで、子どもは安定して様々なことを身に付けるのです。その 『 ちょうどいい距離 』 を構築する事が、子どもを “発育” させるのだと、高橋先生は解説します。事故や事件は、この心得のちょっとした隙に起こっていることに思いをいたさねばなりません。 まさに、親の心得をもって生徒たちに接することが、教師には求められるのではないでしょうか。

教育の原点回帰

「私はもともと高等学校生物の教員でした。みなさん高校の生物の何を思い出しますか? 理科の生物の授業はおもしろかった? 実験の時間は好きな人が多いでしょう。でも実験の時間は少なかったかな?」

という高橋先生の問いかけに、

「実験の機会が少なかった。もっと実験の時間があれば、もっと理科が好きになれたと思う」

という学生の発言がありました。

「体験型の教育機会に乏しい日本の理科教育を、改めて行かなければいけませんね」(高橋先生)

これまでの理科教育では、実験・実習よりも知識が重んじられ、学校の先生は 「 “教科書”を教えること 」 が務めとなっていました。自然科学は非常に身近な現象まで扱うものでありながら、日常的に体験する現象と教科書的な知識が結びつかず、「 理科 」 に対する関心が低くなったり理解力が低下する、いわゆる 「 理科離れ 」 が指摘されてきました。その問題点を打破するべく、文部省が1989年に改正した学習指導要領では、「 観察、実験を通して… 」 から 「 観察、実験を行い… 」 に改められました。

平成19年に改正された学校教育法第30条には、高橋先生が求める“教育の原点”に通じることが定められています。この法律改正により 「 主体的に学習に取り組む態度を養うことに、特に意を用いなければならない 」 と、モチベーションを高めることも仕事と規定されるようになりました。しかし、この様なことが法律にまで定められることに、いささか戸惑いを感じているそうです。

 

アメリカの学校教育から学ぶべきこと

今回の学校教育法改正の趣旨に 『 学校教育における社会奉仕体験活動、自然体験活動等の体験活動を促進する 』 ということが挙げられています。アメリカでは伝統的に体験学習を重んじています。カルフォルニア州にある The Seven Hills School を参観したとき、ハッとした出来事がありました。この学校は幼稚園から小・中一貫制の学校です。以下はその学校のボードに書かれていた、中国の孔子の言葉です。


I hear, and I forget.(聞いたことは忘れる)
I see, and I remember.(見たことは思い出す)
I do, and I understand.(体験したことは身に付く)

この学校の授業はもちろん体験型の授業を多く採用しています。例えば理科の授業で心臓の構造や機能を学ぶときは、聴診器を使い、本物のブタの心臓を用いるのです。その場ではテキスト(教科書)は使わず、必ず観察や実験を行い、その後 家庭でテキストを参考に課題学習に取り組んでいます。

そして、この学校の中学生は、卒業時に なんと 4,000語という課題論文を書きます。自分で課題を定め、調査研究し、論文の形式で作成する ---- これは大変な作業です。しっかりと理解して身についていなければ、大人でもこんな大作はなかなか書けないものです。

「自分の思っていることを、わずか15歳の子どもが原稿用紙10枚という長文で表現できるということはすばらしいですね。これは先生の指導の賜物だと思います。学習に対して受身ではなく、子どもが自分で考え、意欲的に学習に取り組んで、自分の考えを表現できるようなってほしいです。北区でも中学校卒業時に4,000字の論文が書けるような教育を目指したいものです」(高橋先生)


体験型学習への転換 〜 全国学力・学習状況調査より 〜

個性を重んじる学習内容へ

日本では、近年になって体験型学習や自分で考える力の育成に力点を置く教育が重視されています。昨年、43年振りに公立の小中学校で全国学力・学習状況調査が行われました。算数(数学)と国語、それぞれ基礎学力を測る 「 問題A 」 と、応用力を問う 「 問題B 」 が出題されました。問題Aは正解がひとつですが、問題Bの答えは、ひとつとは限りません。中には正解が20種類ぐらいあるものもあり、自分の考えを持つことが問われているのです。

「生徒ひとりひとりの個性が発揮できるような教育にしていくことが大事です。これから教師を目指すみなさんも子どもの個性を尊重し、育てられるような先生になっていただきたいです。」(高橋先生)

教育から発育への転換

識字率は高いにもかかわらず、自分なりにその知識を活用することができていない。基礎学力を測る問題Aの正答率はそこそこ高いのに、課題を自分で見つけて検証し、結論を出す問題Bを解けるような力が十分身についていません。

「教育というのは教えるテクニックではなくて、自分で課題を持ち、自分で調べ、答や結論を出せる子どもを育むことです。子どもの可能性を引き出す教育こそが次の時代に目指すものです」(高橋先生)

体験して身に付けたことこそが、生きる力につながっていきます。いろんなことをやると失敗もつきものですが、失敗も全て生きる糧となる。教育から発育へ、そう語る教育長の目には、親の心・子どもを育て伸ばす教育を築いてきた温かな光が満ちていました。


文責 / 現代GP:阿部純子

受講者の声

  • 子どもの成長を本当に考えておられて、こういう人が教育のリーダーであるということに感動しました。教育に関して希望が持てました。
  • 指導要領などの資料が配布されて教育界の求めているものがわかりやすかった。
  • 自分たちの受けてきた教育と自分の理念を教育長の理念を照らし合わし、自分のやりたい教育について深く考えるきっかけとなった授業でした。