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「国際協力特論」受講生がJICA横浜移住資料館を視察

2023年1月13日更新

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移住の歴史についてガイドの方にご案内をいただく

2022年12月21日(水曜日)、「国際協力特論」のアクティブ・ラーニング・アワー(ALH)として、受講生等6名が横浜・赤レンガ倉庫近くにあるJICA(独立行政法人国際協力機構)横浜移住資料館を視察しました。

当日は、ガイドの方にご案内いただきながらJICA横浜移住資料館(以下、「資料館」)を見学しました。資料館のあるJICA横浜の建物には、途上国関連事業を行う方や途上国から来た研修員の方が宿泊する施設も併設されており、様々なルーツを持つ方が集まる場所でした。

展示室に入ってすぐに目に飛び込むのは、大きな山車。アメリカ、オレゴン州ポートランド市のローズ・フェスティバルという催しで、日系人らが自分たちの従事する農業、野菜作りを広めようと製作し、出したものだと言います。ガイドの方に説明を受けましたが、野菜を食べる文化が薄かった中南米に野菜の文化を持ち込んだのは、移住し定着した日系人でした。この山車を抜けて、日本人の移住の歴史を1つ1つ追いながら、当時の日本人らの生活の様子にも迫っていきました。

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野菜山車

展示室では、日本人の移住の歴史について、大きく5つの時代に分け、説明されていました。①日本は加工貿易では国が立ち行かなくなり、ハワイの協力のもとサトウキビ農園に従事する官約移民を派遣しました。その後ハワイがアメリカに併合されたことによりこの制度は終了しますが、②仕事も稼ぎも多いハワイやアメリカ本土へ引き続き日本人は移り住んでいきます。しかし、アメリカの中で「日本人に国を侵略される」という捉え方が広まり、反日感情が高まっていきました。1924年頃から、アメリカへの移民ができなくなった日本人は、③多くが南米への移住に向かいます。南米への移住は出稼ぎとしてではなく、家族で訪れて定住する形での移住でした。また、アメリカでは、太平洋戦争中、多くの日本人が強制収容所に送られました。④第二次世界大戦後、敗戦により没収された植民地から、多くの日本人が帰国します。しかし、LARA物資などの援助の力を借りながらも、日本本土でも敗戦により満足な生活ができていない状況でした。そこで、政府を挙げて戦後移民と呼ばれる移民の動きがありました。そして⑤現代、政府による移住送り出しが終了した後、出稼ぎ等で日本に来る日系人の動きなどがあります。

見学後のディスカッションでは、多くの学生が②後の反日の動きへの衝撃を隠せずにいました。強制的に収容されるほど反日感情が高まり、法律改正などの手を使ってまでも日本人が迫害されてきたこと、その歴史自体に大きなショックをうけ、現在の日本人が持つ移民や難民へのバイアスへと重ね合わせる学生もいました。その反日感情の中、戦争で日本側を手引きするだろう、という反日プロパガンダに抵抗しアメリカへ誠意を見せるために、忠誠登録を行って日系人のみの部隊を作った、というエピソードもあり、意外性を感じた、という声もありました。

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見学後のディスカッション

私も同様の感想を持ったうえで、日系人の自律性へと考えが巡っていました。ブラジルへと移り住んだ日本人は、日本人の魂を維持し続けようと、移住後生活が安定してきてから日本人学校を自分たちの力で作ったと言います。現代の感覚から見ると、教育は重視され保障されるべき権利であり、政府の強い斡旋があった移住において教育などのサポートがほとんどなかったことは違和感がありました。しかし、当時は生命維持が第一であったことを考えると、移住する国民も国も、教育を考えるほどの余裕はなかったのだと推測されると共に、教育が内から求められる存在である、という環境に新鮮味と憧れを抱きました。現代は、教育が当然の権利として与えられるものであるがゆえ、矢印が本来と逆を向いてしまっているようにも感じました。

また、前日12月20日に開催された第24回SDGsセミナー「海外の日系社会・日系社会支援」でも感じましたが、日系人を「日本人の枝分かれ」として考えることには、事実とのズレがあるように感じました。もとい、「○○人」という考え方が、根本から見直されるべきであるように思いました。ガイドの方は、「今、日系人は見た目ではわからない。本人が日系人だと思えば、日系人なのだ」とおっしゃっていました。これは日系人のみならず、世界に生きる1人1人において言えるのではないでしょうか。日本からアメリカへ渡った者たちは、戦争において自分たちの部隊を作ってまでアメリカへ忠誠を誓いました。南米へ渡った移住者らは、現地で自分たちの生業、存在意義、文化を、自分たちの手で形づくっていきました。ブラジルにいる日系人は、日本人とは全く異なる文化を形成して、今を生きています。ルーツは自分自身のアイデンティティとして大切に守りながらも、自分自身が誇りに思えるアイデンティティを、国境に囚われずに持つこと。それを互いに受け入れられるような社会を自分の周りからでもつくっていきたいと思うと共に、それらが現在の難民問題や文化間の摩擦・バイアスを軽減し、多くの人が生きやすい社会になることを望みます。

(生活科学部心理学科2年 小川祐奈)

【関係リンク】
JICA横浜移住資料館
JICAの移住者支援事業、日系社会との連携事業
米国に移住した日本人農家がつくったフェスティバル用の野菜山車
第24回SDGsセミナー「海外の日系社会・日系社会支援」実施報告

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