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イベントレポート トークイベント「中村莟玉と歌舞伎」

2023年6月8日更新

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学内の国際交流留学生プラザで開催しました

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2022年12月17日(土)、歌舞伎俳優の中村莟玉さんを講師にお迎えしてトークと実演のイベント「中村莟玉と歌舞伎」を開催しました。新型コロナウィルス感染急拡大の最中ゆえ参加者を学内40名に限定しての実施となりましたが、定員を超える応募があり、熱気溢れるイベントとなりました。

莟玉さんは歌舞伎外のご家庭から技芸の道に進み、2005年に9歳で初舞台を踏みました。中村梅玉さんの元で研鑽を積み、得意とする可憐な女形はもとより近年は立役(男性の役)も積極的に演じ、新時代の歌舞伎を担う若手俳優として活躍されています。2022年4月からはラジオ「KABUKI TUNE」(NHK-FM)のパーソナリティもおつとめです。

最初にこれまでの活動を、スクリーンに投影した写真を見ながらお話いただきました。歌舞伎との出会いに始まり初舞台と莟玉襲名を経て現在までの活動は、26歳の若さでありがながら実に濃密で様々なエピソードに彩られています。莟玉さんが歌舞伎の道に進んだのはお母様の影響ですが、お母様は本学文教育学部のご出身で、在学中に歌舞伎好きのご友人に誘われたことから歌舞伎に魅せられたとのことで、本学との嬉しいご縁も明かされました。

続いて、実演を交えつつ歌舞伎の身体表現の特徴をご説明いただきました。性別や身分による表現の違いをご披露いただきましたが、初々しい町娘から剣の達人の若衆まで瞬時に演じ分ける様子は実に鮮やかで、幼い頃から修練してきた技芸の凄さを感じるとともに、歌舞伎とは歌舞伎役者そのものであるということを目の当たりにする、贅沢な時間となりました。
最後の質疑応答では参加者から多くの質問に大変丁寧にお答えいただき、あっという間の120分となりました。

莟玉さんに様々なお話をしていただきましたが、そこに通底するのは歌舞伎への揺るぎない愛情と技芸に対する真摯な姿勢でした。参加者のこれまでの歌舞伎の鑑賞経験や知識は様々でしたが、莟玉さんのお話と技芸を通じて歌舞伎に魅了されるとともに、それぞれが多くの学びを得たようです。ここでは参加者2名のイベントレポートを掲載します。

執筆者の所属・学年は開催当時


 「歌舞伎は、役者を食いものにして成長している」という中村莟玉さんの言葉が、お話を伺ってからひと月以上経った今でも、深く心に残っています。歌舞伎という現象を、広い視野で俯瞰的に見ることによって語られた、深い洞察に満ちた言葉であるように感じます。
 これまで役者の方のお話を伺うことはもちろん、歌舞伎の観劇経験さえ無かった私は、歌舞伎は伝統があってお堅くて、いかめしくて、知識が無いと楽しめないものだと勝手に思い込んでいました。しかし莟玉さんが語る歌舞伎はもっと開けていて、過去のものではなく、今現在も脈打ち呼吸し絶えず更新されているものであるように感じられました。核心を突きながらも、聴き手の視点に立って分かりやすく、ユーモアを交えてお話しくださる莟玉さんのお言葉を聞きながら、「古くて新しい」とはこういうことかと感じました。
 さて、それにしても歌舞伎というものはとても不思議な存在だと思います。役者の方々が人生をかけて芸を極めていく様子は、偉大な芸術家が究極の美や表現を求めて、次第に作風が変化していく様子と重なって見えます。どちらもキラキラとして見えて、誰しも憧れる生き方のように感じます。しかし歌舞伎における芸の追究が目指すところは、「美」や「価値観の創出」といった、芸術の目的とは少し違っているように思います。歌舞伎役者の方が、芸の追究を通して目指しているものは何なのでしょうか。そこで、僭越ながら最後に質問させていただきました。莟玉さんは、「お客さまにまた来たいと思ってもらえること」とお答えくださいました。謙虚な莟玉さんの姿勢に感動しつつ、「歌舞伎は限りなく深くて楽しさに満ちた、至高のエンタメなのだ」と気付かされました。
 長い伝統の中で独自のスタイルを築き、今も時代の空気や人々の熱気を吸いこんで、絶えず成長を続ける歌舞伎。その世界に飛び込み、お父様の中村梅玉さんから様々なことを全身で吸収し、広い視野でいろいろなことに挑戦を続けておられる莟玉さん。そのお芝居の様子を、実際に自分の目で見たいと強く思いました。歌舞伎という素晴らしい世界への入り口を広げてくださった莟玉さん、本当にありがとうございました!

生活科学部2年 東本紗菜


 物心がつくかつかないかといった頃から歌舞伎を観たり日本舞踊のお稽古をしたりしており、また、中学生になった現在は「歌舞伎の将来を考える」というテーマで学校で研究をしている私にとって、このイベントは、純粋な歌舞伎オタクな自分としても、歌舞伎を研究している自分としても楽しめて勉強になり、ファン心のど真ん中に刺さる、まさに最高の催しでした。このイベントのチラシが学校で配布された日は聴講させていただけるかも分からないのに、授業内容も全く頭に入ってこないほどウキウキしてしまいましたし、また当日はたまたま中学校のマラソン大会の日だったのですが、イベントが楽しみすぎるあまり覚醒したのか、練習時の自己ベストを大幅に更新してゴールしたほどでした。
 開場時間ピッタリに勇んで教室に入ると、中村莟玉さんと埋忠先生がリハーサルをされていました。尊敬する本物の莟玉さんに、初めてお目にかかれたときの感動は忘れられません。それから開始までの30分間、用意した何十個もの質問からいくつか選んで、心の中で何度もイメージトレーニングをしていたときの緊張と不安は、たったの14年の人生ですが人生で一番大きく感じられました。
 しかし、いざ講演が始まり、莟玉さんの歌舞伎に対する愛溢れる思いを拝聴していると、歌舞伎の魅力を再発見して「ああ、だから私は歌舞伎が好きなんだ」と納得することがあったり、莟玉さんの幼少期のお話と自らの過去や現在を重ねて「莟玉さんと私はここが似ているなあ」と勝手に思うことがあったりと、いつの間にか緊張と不安は吹っ飛んで、2時間、あっという間の時間を存分に楽しむことができました。
 どのお話も大変興味深かったのですが、一番印象的だったのは、演技の「型」が重要な歌舞伎にあって、個人としての表現をどのように追求するのか、ということについてのお話です。莟玉さんは歌舞伎を「例えるなら先行研究がありすぎるもの」ともおっしゃっていましたが、その中で「型」は演技を出力する入れ物と捉えて、そこから表現を追求するのだ、というお話が歌舞伎の表現の本質をまさについているように、素人ながら思えて、胸を打たれました。また、「お客さんの前でやらなければ成立しない、だから勉強会をする」といったお言葉や能動的で芸に貪欲な姿勢にも感銘を受けました。莟玉さんのお父様である中村梅玉さんは、莟玉さんに「役の奥に役者が見えるように」とおっしゃっているそうですが、そこの芸域に至るまでの役者さんたちの道のりを楽しむのも、歌舞伎ならではの醍醐味と思います。
 莟玉さんは「歌舞伎は生き物だ」という例え話もされていました。市川猿翁さんをはじめとする多くの方も「歌舞伎は博物館の展示物になってはいけない」とおっしゃっていると聞いたことがあります。私も、目の前で演じられている空間にいてこそ、歌舞伎を観る意味があると思います。だからこそ、私自身もこれからも、日舞のお稽古に励んだり、友人を木挽町(歌舞伎座)や三宅坂(国立劇場)、浜町(明治座)に誘ったり、いずれは西に遠征したりと、歌舞伎を受け継ぐために微力ながら自分のできることをしつつ、一生、歌舞伎を楽しんでいきたいという思いを改めて確固たるものにしました。いつか脚本を手掛けることができたら、などと夢想してもいます。
 このような貴重な機会を設けてくださった莟玉さんに心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。莟玉さん、高砂屋さんご一門はもちろん、歌舞伎全体をこれからも応援していきたいと思います。

附属中学校2年 山本茉朋

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