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イベントレポート トークイベント「拡張させない現実感技術――歴史のデジタルパフォーマンス」

2023年3月16日更新

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学内の国際交流留学生プラザで開催しました

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会場入口にはキュレーションの元になった記録写真と、藤幡さんが手がけた当時を再現したCGを掲示しました

2022年7月23日(土)、メディアアーティストの藤幡正樹さんとUCLA教授のマイケル・エメリック先生によるトークイベント「拡張させない現実感技術――歴史のデジタルパフォーマンス」を開催しました。伝統芸能×未来プロジェクトとコンピテンシー育成開発研究所比較日本学教育研究部門の共催で、学内から40名が参加しました。新型コロナウィルスの感染対策をおこないながら、対面での開催となりました。

2022年5月、ロサンゼルスのリトル東京にある全米日系人博物館(JANM)においてエキシビション「BeHere / 1942」が開幕し、大きな話題を呼びました(2023年1月8日まで)。まさに80年前のこの地でおこった日系人の強制収容という負の歴史を、AR(Augmented Reality:拡張現実)を用いて展示しようという画期的な試みです。その日リトル東京で暮らす日系人たちは、多くを知らされないままバスに乗せられ強制収容所に向かいましたが、バス停は今ではJANMの前にあたる広場でした。この場で専用アプリが入ったiPadをかざすと、数多くの記録写真から慎重にキュレーションされた、その日その場にいた人々を再現した映像が動き出します。不安そうな日系人の両親と無邪気な笑顔の子どもたち、目を光らせるミリタリーポリス、それを撮影するカメラマン。来館者は80年前の人々と現在の風景とがオーバーラップする不思議な体験をするのです。

イベントでは、エメリック先生に藤幡さんのこれまでの活動をご紹介いただいたのち、藤幡さんにこのエキシビションの制作過程と狙いをお話しいただきました。さらに、当時を知る日系二世とのキュレーションを通じた交流、歴史をARで再現する意味、メディアアートの未来まで、話題は多岐にわたりました。「時間」と「場所」という大きなテーマに最先端技術を用いて対峙した活動は実に刺激的で、エネルギーに満ちあふれた藤幡さんに導かれるかのように会場からも多くの質問が寄せられ、当初の予定を超過した2時間半があっという間に過ぎました。

参加した学生の専門分野は実に多彩で、まさに「BeHere / 1942」そのものがジャンルを越え様々なことを呼び起こすものであったことを示していました。ここでは2名の学生によるイベントレポートを掲載します。
なお、当イベントの講演録を、『比較日本学教育研究部門 研究年報』19号(お茶の水女子大学グローバルリーダーシップ研究所比較日本学教育研究部門、2023年3月)に掲載しています。

執筆者の所属・学年は開催当時


 藤幡正樹先生とマイケル・エメリック先生によるトークイベントに参加させていただき、多くの学びを得ることができました。
 参加前の私はメディアアートを知らないに等しく、アートどころかARとVRの違いさえ怪しいような解像度でした。したがってメディアアートへの強い関心から参加を決めたわけではなく、何となく気になる、知りたい、という軽い気持ちによるものでした。
 今回は、主にARという技術を用いたアートについてのお話をいただきました。ARとは「Augmented Reality」の略称で、「拡張現実」を意味します。たとえばスマートフォンを目の前にかざしたとき、本来そこにはないはずのものがスマートフォンに映っている、この技術のことです。言われてみれば、私もどこかで触れたことのあるものでした。VRとの違いは、おそらく作品の世界と鑑賞者の世界が一致するか否かというところにもあるのではないかと思いますが、ARは作品の世界と鑑賞者の世界がおおむね一致する点で現実とオーバーラップするために、ある意味危険なものであるというお話を興味深く伺いました。
 このように、ある意味危険であると思われるほど強い訴求力をもつARという技術を用いて行われた歴史展示は、「自分がそこにいたかもしれない」と多くの人に思わせる点において従来の展示とは異なると思いました。「BeHere / 1942」について、制作過程も含めて詳しくお話いただきましたが、その中で、完成した作品を見て「1942年にも知り合いであるような気がした」という感想を述べた出演者のお知り合いの方のお話がありました。現実との境を見失いかけるような体験を生成できる技術に驚きました。
 「BeHere / 1942」において表現された、収容所へと出発する日系人の「過去も未来もなく現在しかない」という時間の存在が見えていなかったので、そのような時間の存在に気が付くことができたこと、またその表現方法として今回お話いただいたARを考えることができたことは、私にとって思いがけない実りでした。今後もこのようなイベントに積極的に参加させていただきたいと思います。
 最後になりましたが、お話をいただきました藤幡先生、エメリック先生はじめご関係者の皆様に心より感謝申し上げます。貴重な経験をさせていただき、本当にありがとうございました。

比較社会文化学専攻 博士前期課程1年 小山理恵


 歴史展示の取り組みやARを活用した表現に興味があり、トークイベントに参加させていただきました。再現される内容も初めて知る事ばかりで、第二次世界大戦中、収容所に入れられたリトル東京の日系アメリカ人が何千人もいたという事実にもたいへん驚きました。また、今までも戦時中のモノクロ写真を見る機会は何度もありましたが、今回のようなARでの表現方法で見たのは初めてでした。
 歴史を知るために写真を利用するということはよくあります。写真を見ることは知らない時代の想像の幅を拡げる事ができます。しかし、ARはそこに映っているものだけを見ることで完結させるのではなく、さらにその枠の外側の視点にまで目を向けています。撮影者はどこにいて、写真としてなぜそこを切り取ったのか、映らなかった部分には何があったのか。ARを活用した表現は、写真によって切り取られた見えている情報だけでなく、現実世界の上にオーバーラップして、知らない時代の知らない人達を身近な空間に感じることができ、その時代についても考えを巡らせることができます。まるで今、目の前で起こっているかのような体感となり歴史について考えることのできる方法だと思いました。
 イベントトークの中で、文字よりもわかりやすい写真という方法を使っても、まだ見る人と出来事の間の関係性に距離があると仰っていたのが印象的でした。はじめはその距離の意味について考えていたのですが、イベントトークの中で当時のモノクロ写真をたくさん見て、その後「BeHere / 1942」のメイキング映像を見た時に私はどこか不思議な感じがしました。モノクロ写真で見たような人がカラーの世界にいて動いている、その映像を見ただけでも自分と出来事の関係性の距離がより身近に変わったように感じました。歴史をその時の点で知る機会というのは多くありますが、AR技術を活用し写真で過去の出来事を再創造していくことで、歴史が持っている時間の流れを自然に感じとり、歴史に対し自分事として目を向ける機会がもらえるような気がします。
 今回のお話を聞いて、今まで考えもしなかった被写体と撮影者の関係まで理解し、写真の枠の外にも意識を巡らせるというような写真の表現や見方があると知りました。そしてそれは改めて自分の見方、捉え方についても考えるということでもありました。歴史を展示することに対して何を考え、どうアプローチしたのかを聞くことができる非常に貴重な機会でした。ありがとうございました。

生活科学部4年 横山敦美

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